
水野忠邦の改革(天保の改革)は、いまだにとても評判が悪い。歴史書でも好意的に書かれている例は少ない。とにかく贅沢は禁止したので民は困ったとか、農民の兼業を禁止したりお祭りは無駄遣いだと言って禁止したのはけしからんとか、農民が都市に流入するのを阻止しようとしたのは農民を農地に縛り付けるものだとか、デフレ政策を強引に推し進めて自殺者がどんどん出たとか。悪口ばかり。
でも当時の経済を見てみると、明らかに供給力が不足していたことがわかる。供給力の増強(当時はコメの増産ですね)と需要の削減(贅沢禁止)をやって、余った供給力で外敵に対抗するだけの軍事力を装備する必要があった。また何よりも制度が硬直化してきており既得権者たちの利権で社会が身動きとれなくなっていた。改革は必要であった。
しかし、改革の煮え湯を飲まされ続けた抵抗勢力は上地令を機会についに水野忠邦を孤立化させることに成功する。土地がからむととにかく全員が反対するのがニッポンなのだ。百姓たちは旗本たちについて抵抗勢力となった。水野はあえなく失脚し失意のうちに死に、改革リーダーを失った幕府体制は崩壊へとまっしぐらに進む。
何か「現代日本」を見ているようではないか。
3 件のコメント:
水野は腐敗した組織を突き破って出世した立派な人だったんですよね。
松本清張が水野の良識と腕力を評価していたのを思い出しました。
さすがは松本清張ですね。現代日本では、弱者のふりをする強力な既得権集団がのさばりすぎ。おかげでホントの弱者が苦しんでいる。
ちょっぴり改革出来ても評価は低いし、大きな改革をすれば足をすくわれる。となると、政治家も割にあわない仕事ですね。
目の前の小銭(利権)に走るの気持ちも判る。
それじゃ困りますけど。
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